何気なく使っている言葉の意味

「嘘も方便」

 

皆さんは、普段、何気なく「嘘も方便」(うそもほうべん)という「ことわざ」を、

使った事がありませんか?

 

「嘘も方便」の意味は

「嘘をつくことは良くないけれど、物事の流れを止めることなく、滑らかに進ませる為には、

時と場合によっては、うそをつかなくてはならない時もある、ということ」だそうです。

 

「方便」(ほうべん)の本来の意味は

「仏教」において、衆生(しゅじょう)(人間をはじめ、すべての生物のこと)を真の教えに

   導く為に用いられる手段」だそうです。

 

「嘘も方便」の「方便」は、何時なのかは分かりませんが、誰かが勝手に都合よく解釈して、

「ことわざ」にしてしまったのだと、私は、思います。

 

「詭弁」(きべん)の意味は

「自分に不利になった状況になった時に、つい「言い訳」をしてしまったり、自分の都合で、

   結果的に、相手を騙してしまう」だそうです。

こちらが、「嘘も方便」の、本来の意味の様な気が、私にはします。

 

常に「正義」・「真実」しか許さない「相棒」の「杉下右京」は、ひょっとして、

語気を段々に、荒げながら、こう言うかも知れません?。

 

「あなたの、考え方は、全て「詭弁」(きべん)です。

自分に都合良く「真実」を、ねじ曲げて、勝手に、都合よく、解釈しているだけですよ。

「真実」は、1つしか、ありません。

あなたの、考え方は、ただ、「正義」から、目を背けるだけの、卑怯な考え方ですよ。

「嘘に嘘を、重ねても」「神」は、全てお見通しですよ。 

あなたは、ただの、卑怯者です。もう一度、自分を見つめ直しなさい。

そうすれば、おのずと、「真実」が見えるはずです。    

 

以上、私は、脚本家になったつもりで、「杉下右京」の「セリフ 」を、

考えてみました。

 

本来の意味である「仏教」の教え、「方便」を「詭弁」に置き換えた悪者に、「キリスト教

の象徴である「神」を出すことにより、ダメを押し、完膚なきまでに、叩きのめします。

相手は、返す言葉もなく、膝から崩れ落ち、うな垂れたまま、

後悔の念で、「嗚咽」(おえつ)します。

 

「嗚咽」とは、「声を詰まらせて、泣くこと」です。

 

以上も、私の妄想話です。

 

そして、エンディング音楽と共に、テロップに、

「出演者」(キャスト・大抵の場合、主役が最初、ゲストが最後)「音楽名」「監督名」

「AD名」(アシスタント・ディレクター)「プロデューサー名」「演出家名」

そして、以前私が1番重要と言った「脚本家名」が、紹介されて、番組が終わります。

毎回同じです。話の流れから、最後に言う、説教めいた「名ゼリフ」をなんと言うか、

だいたい検討がつく様に、なりました

 

番組の中で、時々、説教めいた「ことわざ」や、普段、ああまり使わない「四時熟語」も、

わざと、声のトーンを変え、ユックリとした口調で、言います。

 

私が、退職を決意し、有給休暇を取っていた、3ヶ月前、「相棒」の再放送で、

「元法務大臣」で僧侶でもある役に、扮した「津川雅彦」(朝丘雪路の夫)が、

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや、悪人をや」と、

浄土真宗を開祖した「親鸞」の言葉を、大袈裟な言い方で言いました。

番組の流れからすると、ちょっと、言葉が長すぎました。

この番組には、この言葉は、不釣り合いで、違和感がありました。

脚本家を始め、スタッフの、判断ミスと感じました。

 

朝丘雪路」は、画家「伊東深水」の娘で、「雨がやんだら」を歌った歌手でした。

元祖「ボイン」と呼ばれ、「夜のヒットスタジオ」の司会者を務めました。

お嬢様育ちで、世間知らずの為「天然ボケ」であることがが受け、

バラエティ番組にも、よく出ていました。

残念ながら、夫「津川雅彦」と共に、故人となってしまいました。

 

私が現役だった時、自分を「仮面ライアー」

(仮面を被っている時だけ、嘘をつく)と、名乗った事が、有りました。

仮面を脱げば「正直」(オネスト)になると、言い訳していました。

冗談で「嘘」をついても、その日のうちには、必ず「嘘」だったと、白状しました。

そして、「罪」(ギルティー・クライム)を犯した人には、罰(ペナルティー)が下る。と

脅してきました

 

ロシアの作家   「ヒョードルドストエフスキー」が、書いた、  「罪と罰

私は、この本を、読んだ記憶が、ありません。ひょっとして、

漫画で、読んだ事があるかも知れません。

難しいと言われる、この本を読んだ人がいたら、私は、尊敬します。

パソコンで、検索すると、ドストエフスキーが、書いた、

罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」「白痴」「未成年」を、

「5大長編」と言うそうです。

 

罪と罰」をパソコンで検索した結果、下記のような、あらすじ、でした。

  (キーワード」さえ憶えていれば、外出先であっても、

ケータイで、調べられます。便利になりました。細部まで憶えている、必要がありません)

しかし、私は、検索して出てきた言葉を、丸写しする事は、しません。

必ず、自分の解釈で、言葉を、使っています。

 

「罪を犯した人間でさえも、更生できる」ことを、テーマとしています。

殺人という、最も重い罪を犯した人間でさえ、復活できるそうです。

 

主人公は、「正義の為」なら、人を殺す権利があるとの思想より、

街で有名な金貸しの老婆を、殺しました。

そして、彼女の財産を奪い、託児所に寄付しました。

信念に基づき、行った行為ですが、結局罪悪感に苦しめられる事に、なります。

娼婦との出会いにより、愛を知り、更生する諭(さと)され、自首し、罪を償う道を選択します。

エピローグでは、それまでの暗い内容から一変し、明るく、

希望の持てる、終わり方になっています。」

 

以上、5分でわかる「罪と罰」あらすじ、より。

 

日本にも、「ねずみ小僧次郎吉」と言う「義賊」(泥棒に変わり無し)が、いました。

鼠小僧次郎吉」は、面子があり、被害届けを出すのが、ためらわれる、

江戸の「大名」や、「豪商」を、ターゲットに、金を、盗みました。

そして、盗んだ金を、貧しい庶民にに分け与えた「正義の味方」です。

(決して、人をを傷つける事は、しなかったそうです)

しかし、自首せず、捕まってしまい、「磔の刑」(はりつけのけい)で、処刑されました。

 

同じような「大泥棒」に、「石川五右衛門」(いしかわごえもん)が、いました。

安土桃山時代」だそうですから「鼠小僧次郎吉」より、先輩です。

鼠小僧次郎吉」が、単身で「盗っ人」を「働いた」「盗賊」であったのに対し、

石川五右衛門」は、30人の泥棒の子分(古文ではない)を率いた、

単なる泥棒の中の、泥棒の、大親分」に、過ぎませんでした。

石川五右衛門」も、自首する事無く、捕まり、大きな、鉄で出来た風呂釜で、

生きたまま、ゆでられる「釜茹での刑」で、処刑されました。

石川五右衛門」は、辞世の句を読みました。

 

「石川や、浜の真砂(まさご)は尽きるとも、世に、盗人(ぬすっとの)の種は尽きまじ」

私の会社に「真砂支店」があり、この句を、支店の人に言いましたが、

反応は有りませんでした。

 

煮えたぎったお湯の熱さに、耐えきれず、

「一思いに、殺してくれ」と、叫びながら、死んでいったそうです。

以後、この釜を「五右衛門風呂」と、呼ぶ様になりました。

私も、子供の頃、「五右衛門風呂」に、入っていましたが、「スノコ」の上に座り、

周りの鉄に、触れない様、注意しながら、慎重に、入っていました。

 

因みに、「働く」の語源は、「傍(はた)を楽にする」です。偉くなると、

「傍の人(部下)に、楽をさせてもらうの」のが、「当たり前」だと、

勘違いしている人も、いるそうです」

 

私は、45歳から11年間、法律に携わる仕事をしていました。

20件程度の裁判を、経験しました。

数十人の人に「証人」として裁判所に出廷してもらい、「証人」として「証言」して、

もらいました。

私も「証人」として「証言」したことが、有ります。

 

裁判は、漠然と当事者の、主張、「証拠調べ」を、行うと、手間と、時間が、

掛かってしまうので、「当事者間で、争点になっているのは何か」

「事実を明らかにするためには、どんな証拠を取り調べるべきか」を、審理、整理する為に

初期の段階に、6畳ほどの「弁論準備室」に双方の関係者が集まり

「弁論準備」に、備えました。

 

その時には、双方の「代理人弁護士」(弁護士を雇うお金がない人は、本人でも可)が、

出廷し、(私は、「弁護士」に委任した、会社の代表として、全ての機会に、傍聴する事を、

許可されていました)、「代理人弁護士」「裁判官」「書記官」(調書を作成する)が、

参加し、話合いの場を設けました。

 

私は、上記を含め、以後の「口頭弁論期日」、「法廷での争い」、「裁判所を通さない

様々なやり取り」を、「報告書」にまとめて、担当役員まで、回覧しました。

1番長く掛かった裁判は、数十回の「口頭弁論」を経て、2年近く掛かりました。

 

「争い」がない場合は、即、「和解」「判決」の準備に入りました。

「争い」がある場合は、双方が、「準備書面」「陳述書」等を、裁判所に提出し、

何とか勝利しようと、色々、知恵の出し合いをしました。

 

「民事事件」の「証拠」は、「書証」(差入れられた書類)と、「人証」(証人の証言)

しか、ありません。

「書類の偽造・変造」「否認・不存在」「時効の援用」等で、「お互いが、

どうしても納得しない場合」や「裁判官が、勝負の判断をつけるだけの、証拠がない場合」に、

限り、法廷での争いとなり、「証人の申請」を、する事も、ありました。

 

私は、「刑事事件」は、詳しくありませんが、

「警察」は、犯罪者を捕らえた後「48時間」以内に犯人を、「検察」に、引き渡します。

「検察」は、事件の内容を、精査し、「24時間」以内に「裁判所」に「起訴」するか否かを、

判断します。

「起訴」するだけの、事件性が無いと、検察が判断した場合は、「起訴」しません。

犯人は、一応、指紋は取られますが、「前科者」とはならず「前歴者」で済みます。

前科者は、仕事を探す時にネックとなると言われますが、前歴者は、あまり、影響が、

無いようです。

 

「証人尋問」に至るまでには、様々な手続きが、必要と、思います。

「リーガルV」が、いきなり、「証人尋問」からスタートするのは、番組の構成上、

やむを得ないですが、真実」では、ありません。

 

証人になると、「裁判所の法廷の証言台」で、「宣誓書」に署名した後、

通常5人いる裁判官の、真ん中に座っている裁判長に向かって、

「良心に従って、「真実」を述べ、何事も隠さず、「偽り」を述べないことを、誓います」

と、「宣誓文」を、読み上げさせられます。

「リーガルV」、「京都地検の女」では、「宣誓」の場面の放送が有りません。

後は、テレビドラマの通りです。

 

裁判期日に、証言しようとする内容について、事前に、味方の「代理人弁護士」と、

私とで、「裁判官」が、こちらが有利だと、判断しそうな話題と、回答を入念に、

打ち合わせておきます。

そして、裁判の期日には、予定通りの「証人尋問」をします。

代理人弁護士から、「証人」である、私に向かって、用意してあった質問を、

投げかけます。

「私は、打ち合わせた答えを、暗記してあるので、「裁判長」に向かって、

スラスラと答えます。

それが終わると、相手側「代理人弁護士」(「刑事事件の場合は「検事」)から、

「反対尋問」を、受けます。

先に「証言」した、私の方が不利です。

 

相手側「代理人弁護士」は、私が言った話の、「矛盾点」、無理矢理作った「作り話」と

誰もが思う事を、突いて、質問してきます。

答えに窮した私は、しどろもどろになって、訳の分からない事を言ってしまいます。

「裁判長」から、すかさず、「証人は、聞かれた事だけ、答えなさい」と言われ、

私は、ますます、うろたえて、しまいます。

 

「嘘が嘘を呼ぶ」様に、ますます、支離滅裂な事を、言ってしまいます。

困り果てた私は、味方の「代理人弁護士」に、助けを乞うような目で、無言の訴えを、

します。

しかし、「代理人弁護士」は、事前の打ち合わせで、私が「嘘」をついているを、

知っているので、助け舟を、出すことが、出来ません。

「裁判長は、私を「嘘つき」と言わんばかりに、軽蔑した様な目で、私を見ます。

 

期日(普通2週間後)を変えて、相手側が立てた「証人」に対する「尋問」「反対尋問」が、

開廷されます。

相手側は、有利です。私の話を聴いているので、作戦を立てやすいです。

しかも、相手側の「証人」は「嘘」をついていません。

味方の「代理人弁護士」の、「反対尋問」にも、堂々と事実を、答えればいいだけです。

「裁判長」は、相手側の「証人」の話に、一々頷いています。

ゲームセットです。

私が、「嘘つき」だという事が、「青天白日の下」(せいてんはくじつのもと)に

晒(さら)されてしまいました。

相手側の完勝、私の、完敗(乾杯?)でした。

 

飲み会の時、誰かが、幹事に「乾杯の発声」を依頼されます。

「乾杯」は、「完敗」の、イメージがあります。

もし、私が、「乾杯発声」を、依頼されたら、 「完勝」と言って、高らかに杯を上げようと

思います。

 

今書いた、証人尋問」の話は「嘘」です。話を分かりやすくする為

「私」と「相手側」を、「逆」に言ってしまいました。

上記の裁判は、私たちの、圧勝でした。

 

私は「嘘」はつきません。ついても、「嘘」だったと、白状します。

証人になったのは、1回だけですが、「戦った裁判」20件の裁判も、全て勝利しました。

勝つためには、弁護士と、私で、どういう汚い手を使えばいいか?徹底的に考えます。

たまには、事実を都合のいい様に解釈し?「嘘」に近い事もしました。

 

私は、今、過去に犯した罪を、償っています。

 

20年近く前の話なので、「法律用語」を、間違えているかも、知れません。

 

私は、「嘘も方便」と言う「ことわざ」は、嫌いです。

 

それにしても不思議に思う事があります。

刑事訴訟法lにでは、「宣誓」した証人が、「虚偽」の陳述をしたときは、

  3か月以上、10年以下の懲役に処す」と定められていますが、

私の知る限りで、「執行」されたと言う話を、聞いた事は、ありません。

必ず、どちら側かの「証人」は、「嘘を付いている」はずです。

正に、「形骸化」(けいがいか)です。

 

それと、「民事訴訟法」にも、「宣誓の義務」は、明定されていますが、

「3か月以上、10年以下の懲役に処す」の、規定は、ありません。

民事訴訟」も「刑事事件」も、「罰金」の定めは、ありません。

 

もし、有ったら、「嘘をつく証人」が、いなくなり、テレビドラマが、

面白く無くなってしまうからかも、知れません。

 

 

「中条きよしl     「うそ」    作詞 : 「山口洋子」 作曲 : 「平尾昌晃」

 

折れた煙草の  吸いがらで

あなたの嘘が  わかるのよ

だれかいい女(ひと)  出来たのね  出来たのね

あー半年あまりの  恋なのに

あーエプロン姿が  よく似合う

爪もそめずに  いてくれと

女があとから  泣けるよな

哀しい嘘の  つけるひと

 

あなた残した  わるいくせ

夜中に電話  かけるくせ

鍵をかけずに  ねむるくせ  ねむるくせ

あ一緒になる気も  ないくせに

あー花嫁衣装は どうするのか

僕は着物が  好きだよと

あついくちづけ  くれながら

冷たい嘘の  つける人

 

あーあんまり飲んでは  いけないよ

あー帰りの車も  気をつけて

ひとりの身体じゃ  ないなんて

女がほろりと  くるような

優しい嘘の  上手(うまい)人

 

 

「嘘も方便」を、英語では、

「It is sometimes necessary to lie」と言うそうです。

「necessary to 」の意味は、「〜が必要である」という、意味だそうです。

(時々、嘘が、必要である)