何気なく使っている言葉の意味

「蛙の子は蛙」

 

皆さんは、「蛙の子は蛙」という「ことわざ」を、普段、何気なく使った事が、

ありませんか?

「蛙の子は蛙」の意味は、

『たとえ、子供が才能ある様に見えても、ゆくゆくは「おたまじゃくし」が、

「蛙」になってしまう様に、何れ親に似て普通の人になってしまう」という意味です。

「凡人の子は凡人」と同じ意味です。

「誉め言葉」として、使う言葉ではありません。

 

灰田勝彦」(はいだ かつひこ)     「お玉杓子は蛙の子」   作詞・作曲 : ハワイ民踊

 

おたまじゃくしは 蛙の子

ナマズの孫では ありません

それが何より 証拠には

やがて 手も出る 足も出る

 

でんでん虫は カタツムリ

サザエの孫では ありません 

それが何より 証拠には

壷焼き(つぼやき)しようにも 壺がない

 

タコ入道は  八ツ足     (タコの足は8本、イカの足は10本)

イカの兄貴じゃ ありません 

それが何より 証拠には

イカに鉢巻 (はちまき) 出来やせぬ

 

風にゆらゆら; ススキの穂

箒(ほうき)の倅(せがれ)じゃ ありません

それが何より 証拠には

箒でドラ猫 ドヤされぬ

 

灰田勝彦(はいだかつひこ)は、1937年、芸能界に「二枚目俳優」としてデビューしたそうです。

当時、女優の頂点を極めていた「高峰秀子」とも、共演したそうです。

また、歌手としても活躍し「NHK紅白歌合戦」にも、6回出場した名歌手だそうです。

(この「童謡」「蛙の子は蛙」の歌では、出場はしていません)

 

若い人達は、この「童謡」を、聞いたことが無いかも知れません?。

私も、1番の歌詞は何となく憶えていましたが「鯰(なまず)の孫ではありません」の部分が

自信ありませんでした

確かに、「おたまじゃくし」の体型は、「ナマズ」に似ています。

特に、「食用ガエル」(ウシガエル)の「おたまじゃくし」は、とても大きく、

ナマズ」の稚魚と勘違えたとしても、何ら不思議はありません。

 

この「童謡」の歌詞の通り、

生まれた時の「おたまじゃくし」と「カエル」とは、似ても似つかぬ姿で、

別の生物と、勘違いしてしまうかもしれません。

しかし、時が過ぎ、少しずつ姿を変え、いずれ親と同じ姿になります。

 

「哺乳類」以外は、卵で生まれます。

親とは、全く違う姿から成長が、スタートします。

「カエル」は「おたまじゃくし」の頃は、池や田んぼの水の中で、「鰓呼吸」(エラ呼吸)

して生きています。

成長すると、陸に上がり「肺呼吸」はいこきゅう)に変わります。

その為「両生類」(りょうせいるい)と、呼びます。

 

例として、「蝶」もタマゴから生まれ、いわゆる「ケムシ」を経て、成虫になります。

「モンシロ蝶」や「アゲハ蝶」を、嫌いと言う人は、まず、いないと思います。

しかし、「ケムシ」を、好きと言う人も、これまた、まず、いないと思います。

 

人間を含む「哺乳類」は、大人と同じ姿で、生まれます。

そして、親に最高の愛情で、育てられます。

もし本当に「輪廻転生」(りんねてんしょう)という世界があるとしたなら、

次も、人間に生まれていたいですね。

ごく稀に、愛情を持たない親が、います。

その人達は、マスコミに「鬼畜生」(おにちくしょう)と、紹介された後、

法により裁かれ、罰をうけることになります。

 

私が小学生の時、友達と一緒に、自転車で、隣町にあった映画館に(今は、有りません)

モスラ対ゴジラ」という映画を観に行きました。

モスラ」は、核実験の放射能の影響で、200m近くに巨大化した「蛾」(が)の怪獣です。

モスラ」は「ゴジラシリーズ」の中では、初めて「人類の味方」・「正義役」として、

主役になりました。

ゴジラ」は、初めて「悪役」になりました。

モスラ」は「ゴジラ」と戦い、勝利し、地球を救った「ヒーロー」になりました。

 

モスラ」は、「タマゴ」・「サナギ」の時期を海の中で過ごし、幼虫

(「イモムシ」に似た「ケムシ」)となり、地上に姿を現しました。

 

モスラ」が、正義の味方」であったこともあり、幼虫が、身体を縮め・伸ばしながら、

這いずり進む姿は、かわいく見えました。

成虫になった「ガ」も、綺麗に見えました。

 

本物の「ケムシ」だったら、私は、踏んづけて殺します。

本物の「ガ」だったら、ハエ叩きで殺し、チリ紙に包んで、ゴミ箱に捨てます。

人間の「先入観」「固定観念」とは、恐ろしい物ですね。

 

ザ・ピーナッツ」は、映画の中で「モスラーや、モスラーや」という歌詞で有名になった

主題歌、「モスラの歌」を歌いました。

普段 は、「ドレス姿」で「恋のバカンス」に代表される様な「ポップス系」の歌を、

澄んだ綺麗な声で、ハモリながら、歌っていた気がします。

「双子の姉妹」で、姉は、「沢田研二」と結婚し、1男を授かるも、離婚しました。

残念ながら、二人共「故人」となってしまいました。

 

同じ頃活躍した、双子の姉妹に「こまどり姉妹」が、いました。

和服姿で、三味線を片手に「ソーラン渡り鳥」に代表される「民謡演歌?系」の歌を

歌っていた気がします。

二人共まだ健在で、厚化粧をして、今 でもたまにテレビに出ています。

私は、「こまどり姉妹」より、「ザ・ピーナッツ」の方が好きでした。

「憎まれっ子世にはばかる」と、言ったら、本人達・ファン から、怒られると思います。

 

「這えば(はえば)立て、立てば歩めの親心」という「ことわざ」は、

親の気持ちを現す、いい言葉と、私は思います。

しかし、あまり知られていない、ようです。

 

私が、支店を回っていた頃に、「乳飲み子」「幼な子」を持つ親(男女)で、この「ことわざ」を

知っている人は、1人もいませんでした。

孫がいても不思議でない年齢と、思われるスタッフさんにも、聴きましたが、

誰も知りませんでした。

1人だけ、私と同じ仕事をしていた、2歳年上の先輩は、知っていました。

その「ことわざ」には、続きが有ると、教えてくれたのを思い出したので、

今、パソコンで調べてみましたが、見つけることは、出来ませんでした。

 

ところで、

私は何時も、話を自分に都合のいい方向に、もって行く時には「ところで」と言う言葉を

使います。たまには「ところてん」と言う時も有ります。

 

「蛙の子は蛙」の、同意語(同義語)としては、

「親が親なら、子も子」「この親にして、この子あり」「親に似ぬ子は鬼子」が、

相当するそうです。

何れも、良いイメージは、有りません。

 

「蛙の子は蛙」の、反対語(対義語)としては、

「鳶が鷹を生む」(とび、とんびがたかをうむ)「鳶が孔雀を生む」「悪い親でも良い子を望む」

が、相当するそうです。

何れも、良いイメージがします。

 

ある支店の課長は、入社2年目の社員を「鷹が鳶を生んだ」(たかが、とんびをうんだ)

と、からかっていました。

言った本人は、気の利いた事を言ったつもりだったのかも、知れません。

しかし、その社員の父親は、私が卒業した大学の後輩でした。(学部は違いましたが)

本体会社の「常務」「監査役」を歴任後、関連企業に出向した、優秀な人でした。

私には、そのふざけた言葉が、不快に聞こえました。

注意してやりたいところでした。

しかし、短気を起こしたら、私のせいでその社員が、更に嫌味を言われる気がして、

踏み止まりました。

 

代わりに、「もうすぐ転勤になるから我慢しろ」(臥薪嘗胆)(がしんしょうたん)と、

アドバイスしました。

その社員は、私と父親が大学の同窓という事を、父親から聞いていた様でした。

初めて会った時から、私に、良くなついてくれていました。

案の定、その社員は、間もなく転勤になりました。

新しい支店で再会した時には、生き生きと、本来の明るさ・力量を遺憾無く発揮し、

働いていました。

上司に聴くと、高く評価しているとの事でした。

若い芽を摘ままれては可哀想です。軽傷で済んで良かったと、私は、つくずく思いました。

 

「カエル」を、題材にした言葉は、数多くあります。

井の中の蛙(かわず)大海を知らず、されど空の深さ(青さ)を知る」という「ことわざ」

「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」という、小林一茶(こばやしいっさ)の「俳句」

「カエルの面に小便(水)」という「ことわざ」

(何と言われても(されても)全く、動じず 『いけしゃあしゃあ』としている

似た言葉に「糠に釘」(ぬかにくぎ)「暖簾に腕押し(のれんにうでおし)「豆腐にかすがい」

(かすがい」とは、板と板をつなぐ、コの字型の釘)「馬耳東風」「柳に風」等があるそうです。

「蛇に睨まれたカエル」「猫の前のネズミ」「鷹の前のスズメ」等の「ことわざ」も

あるそうです。

 

もう一度言いますが、「蛙の子は蛙」は、「誉め言葉」では有りません。

子供が優秀と知って、『さすがに「蛙の子は蛙」ですね』と、おだてたつもりが

「しっぺ返し」を食らうことになるかも知れません。

気をつけてください。

 

「蛙の子は蛙」を、英語で言うと「Like father 、like son」と言うそうです。