何気なく使っている言葉の意味

「さっさと」

 

皆さんは、普段何気なく「さっさと」仕事を片付けろ、という

言い方を、していませんか?

「さっさと」を漢字で書くと、「早速と」だそうです。

「さっさと」の意味は、「迷ったり、他に気を取られたりしないで、

早く行うさま」や「冷淡に、物事を行うさま」だそうです。

似たような意味で使われる言葉に、

「とっとと」、「どんどんと」等、があります。

「すたこらさっさ」という、言葉も有ります。

「すたこらさっさ」の意味は、「急いで逃げるさま」、

「すばやく逃げるさま」だそうです。

十返舎一九」(じっぺんしゃ  いっく)が、

江戸時代に書いた滑稽本東海道中膝栗毛

(とうかいどうちゅうひざくりげ)の中に、

「すたこらさっさ、と逃げる」という言葉が、

あったと記憶しています。

弥次喜多道中記」は、弥次さん(弥次郎兵衛)と、

喜多さん(喜多八)が、徒歩で、

東海道を、愉快に旅する、面白い物語です。

映画にもなっています。(主演  市川雷蔵、林成年)

1956年公開ですので、私が、2歳の時で、

私の記憶にあるのは、テレビドラマだと思います。

現代の、「掛け合い漫才」の原点は、ひょっとして、

この「弥次喜多道中記」ではないか?

と、私は、思っています。

「さっさと」物事をこなす事を「手早い」と、

表現する事が、あります。

「手早い」と、「手が早い」は、何となく似ていますが、

全く、非なる意味です。

「手早い」の意味は、「物事の処理が早い、

すばやい」と、誉め言葉です。

一方、「手が早い」は、「異性と 知り合うと、

すぐに、関係を結ぶ」や、

「すぐに暴力を振るう性格」を意味し、

悪い人の、イメージに、なります。

迂闊(うかつ)に、間違えると、

とんでも無い事になりかねませんので、

気をつけて下さい。

 

「さっさと」の、対義語としては、「のろのろと」や、

「ぐずぐずと」(愚図愚図と)が、考えられます

 

研ナオコは、目と目の間が一般の人より離れ、

鼻が上を向き、鼻の穴が丸見えで、

独特の喋り方と相まって、最初は、

お笑いタレントとして、活躍してしていました。

ところが、ある日突然、歌手としてデビューしました。

「ナオコ節」と称された「アンニュイ」(気だるい、物憂い)

歌声と、歌唱法で,次々と、ヒット曲を叩き出し、

アットいう間に、一流歌手の  座に、昇りつめました。

まさに、「能ある鷹は爪を隠す」でした。

もっとも、歌手を目指し、静岡県から上京したそうなので

元々、素質は十分に、あったと、思われます。

お笑いタレントのイメージと、歌の上手さとのギャップが大きく、

ビックリしたものでした。

 

研ナオコは、「愚図」と言う歌を、歌いました。

作詞 : 阿木燿子(あぎ ようこ、ジュディオング似の美人)、

作曲 : 宇崎竜童(うざき りゅうどう)

 

阿木燿子」と「宇崎竜童」は夫婦で、研ナオコの為に

一年草」「星曜日に逢いたいね」

馬車道」という曲も作りました。

しかし、何と言っても有名なのは、歌姫と呼ばれた

山口百恵」の為に「プレイバックpart2」

「美・サイレント」「しなやかに歌って」

引退前曲となった「さよならの向こう側」等、

数々のヒット曲を作ったことです。

山口百恵」が、女優でもあった事を知らない人は、

意外に多いかも知れません。

夫の「三浦友和」とも、結婚前に、

伊豆の踊子」(川端康成)「潮騒(しおさい三島由紀夫)で

共演しています。

山口百恵」の息子二人は、かなり大きくなるまで、

母親が、芸能界にいた事を、

知らなかったそうです。

山口百恵」の人柄を表す、有名なエピソードです。

 

研ナオコ」「愚図」の  歌詞

 

あの娘がアンタを好きだって

こっそりあたしに打ち明けた時

友達だもの「まかせときなよ」なんて

心にもない事言っちまった

あの娘はまつげが自慢の娘で

瞬きしながら人を見るのさ

比べてみたって仕方がないよなんて

ひとりで勝手に決めていたっけ

あたしって本当に愚図なお人好し

 

2番.最後の歌詞

あたしって本当に愚図なおせっかい

 

3番.最後の歌詞

あたしって本当に愚図なおばかさん

 

1.「愚図なお人好し」

2.「愚図なおせっかい」

3.「愚図なおばかさん」

 

この歌詞を見て、あなたは、あなたから見て、

一見「愚図愚図」している様に見える人を、

切り捨てられますか?。

ひょっとして、貴重な戦力を失う事に、なりかねませんよ。

ギリシャ神話に出てくる、雷を自在に操り、

神々の王と呼ばれた、全知全能の神「ゼウス」なら、

いざ知らず、人には必ず、「弱味」が有ると同時に、

「強味」もあると、私は、考えています。

人を、生かすも殺すも、評価する人の

「胸三寸」(むねさんずん)です。

評価とは、目上の人からするものに限らず、逆も含みます。

評価する人は、固定観念や、先入観に捉われず、

その人の「強味」を見つけられる「感性」を、

身につけてくれることを、切に、望みます。

そして、その「強味」を、伸ばしてあげて下さい。

 

私は、隠された真実 (truth)と、虚偽 (false) を

見極める眼をもつ為には、絶対に「感性」が必要だと、

思っています。

「感性」の磨き方は、人それぞれ違うでしょう。

私は「慈しみの心」(いつくしみのこころ)を、

大事にしていますす。

 

「さっさと」を英語で、「quickly」と、

   言うそうです。